今年の春、祖母の葬儀のあと体調を崩しましたが
祖母の満中陰の前日に、退院することが出来ました!
なかなか祖母のことを書けなかったのですが
少し心の整理ができたので記事にしてみたいと思います☆
大好きな祖母のこと、応援していただいた皆さん
長い間、可愛がってくださり、ありがとうございましたm(__)m
3月21日に100歳で大往生をした祖母の葬儀には
遠方の親戚をはじめ、ご近所の皆さんや
主治医やリハビリの先生
ケアマネージャーや介護関係のスタッフの皆さんまで
たくさんの方がお別れに来て下さり、御坊様も数名・・・
遺影もめったにお化粧しなかった老年期に
弟夫婦との同居で記念にと、薄化粧した幸せな笑顔の祖母。
秋田の親戚には 「 ばっちゃ、めんこい 」 と言われるきれいなお顔に
なって、皆さんとのお別れとなりました。
氷川きよし君にもらったサインなど
伴奏にも、きよし君のCD&好きだった千昌男さんの「星影のワルツ」が流れて
ある人には
「 お葬式でこんなこと言っていいのかわからないけど
縁側で日向ぼっこしているような、そんな温かい気持ちになった 」
と言っていただきました。
父の友人僧侶さまはじめ
勤め先のご住職さまご家族の皆さんのお経と、導師のお経とで
祖母が、み仏様のお浄土に導かれた優しい雰囲気の二日間でした。
いつも祖母は笑ってくれています
初七日までは、なにをどうしたのか
遠方の親戚も泊まってくれたし、介護ショップからはレンタル品の引き取り
色んな手続きに、ご挨拶まわりなど忙しくしていましたが
睡眠不足続きの母が一晩眠ると、次の日は祖母の部屋を
オールナイトで片づけたり ( 自分の心の整理をしようとして )
そのあと、私にさみしいと泣き崩れたり・・・
最初は涙なんか出ません ( 葬儀では少し泣きましたが )
ショックが先で、後々さみしさと祖母の愛に泣けてくるんですよネ。
昨年末から緩和ケアを続けていましたが、笑顔を見せてくれたり
すごく調子が良かった祖母は、大好きなお風呂に出掛けていましたが
デイケア入浴のあと39度の発熱をしてから
母が付きっきりの看病をして一旦は回復しましたが
その後、調子が戻りきらなかったようです。
でも、その日の朝までポータブルに座り、ちゃんと会話だけはしていました。
主治医の病院まで救急車で運ばれてから点滴をするまでの間にも
私達に感謝の言葉や、指針など残してくれました☆
この期間中に義妹の誕生日も・・・
毎週の法事の間には、母に 「 介護頑張ったで賞 」
として、ご近所の奥さまから手作りのプリフラを頂いたり
親戚も私達の体調を気にしてくれていました。お心づかい感謝します!
ピンクの方が私のだそうです♪
いくつになっても百歳でも、やっぱりさみしさがありますね。
祖母は元気な人でしたが、高齢になると可愛いお婆ちゃんだったし
長年 ( ○十年少し ) 一緒にいた大事な家族との日常生活や
生活ペースがゴロッと変わると、気が抜けたような感じになっていたのかも。
家族で風邪を引いてしました。 そして、私だけが肺炎に・・・
祖母の主治医でもあった近医の院長先生も
「 家族で疲れがでたのだと思う 」 と言ってくれていましたが
本当、そうかもしれません。
介護や看病、介抱と気づかぬうちの疲れも、この時に出たのかも。。
心不全&肺炎などの治療で
なんとか3週間ほどの入院で帰ってこれましたが、父母もお疲れさま!
葬儀に参加できなかった闘病中の親戚は
法事に出掛けてきてくれて、励ましと気分を変えてくれました☆
でも今思うと、何が幸いするのか??
お蔭様で、私の入院 ( 厳しい状況もあった ) をきっかけに
家族が私の生命を支えようという気持ちに切り替わったと言ってくれて
入院当時は、まださみしさを感じていた自分自身も
もうそれどころではなく、危険な状況をどう脱出するかに
ドギマギして、家族に生命力をもらったことで
人生に大切な何かを取り戻せたような、そんな経験をしました☆
母から祖母への母の日のお花
ユリは天に想いを届けてくれるそう・・・
祖父母は、いつも私のことを
「 体が弱いから、気をつけなさい 」
と温かい心で見守ってくれていました。
祖母の満中陰を終え、お仏壇に手を合わせると
今度はその祖父母の愛にジィ~ンと胸が熱くなり涙する、この頃です。
これからは、心配かけないように
それぞれが自分の身体や生活も見直していくからね。
祖父母への感謝の毎日が、家族の日課の最近の なないろ家です☆